みんなのいう正しさとほんの少し違っても、
自分なりのやり方で同じ解にたどり着けることもある。
年齢も性別も大好物もみんなそれぞれ違うけど、
自分と相手の目線を置き換えて考えることができる人でありたい。
待ち焦がれるほど会いたい人は、太陽と一緒にやってくる。
屈強な正論よりも、隙間からほんの少しの優しさが顔を覗かせる言葉を
選べる人でありたい。
出来ることならいつも上や前を見ていたいけど、俯いてしまうような日でも
下を向いていたからこその何かを見つけられることだってある。
フィクションの中にだけ存在していた夢や憧れがどんどん現実になっているから、
空想好きな僕たちの絵空事もいつか本当になるかもしれない。
胸が高鳴る非日常の入り口は、必ずしも創作の中だけとは限らない。
実力が拮抗するライバルだからこそ、相手の偉大さを誰よりも知っていたりする。
抱えられないほど大きくなる前に、小さく優しいその重さをちゃんと覚えておきたい。
誰のせいでもない叶わぬことが口からこぼれてしまうこともあるけど、
心残りを別の原動力に変えていける青臭さを忘れずにいたい。
大切な場面で心の拠りどころになるお守りは、高価でも高尚でもなく、
見慣れた誰かの顔がこびりついているもの。
親が子に望むものはいつも、退屈で優しくてあくびが出るから、
いつからか僕たちは自分の足で歩きたくなってくる。
しょうもないことに気づいたり呆れたりできるのは、
心のキャパシティーに少しずつ余裕が戻ってきてる証。
物語の主人公たちは、新しいページをめくらせる力を持っている。
どんな人だって0から始まるのだと立ち返ることができた経験は、
大人になって役に立つことがある。
泣き声だけで気持ちを汲み取れるような魔法はないから、
泣いている人の気がすむまで自分の時間をそそぐことができる人でありたい。
眠くて億劫な朝という強敵に立ち向かうための、
必殺技やフォームチェンジをいつも心に忍ばせておきたい。
幼い頃の豊かな思い出は、大きくなったときに昔の自分に
会いに行けるタイムマシンになる。
吹けば飛んでしまうような勇気でも、向かい風や臆病風をおだてて
追い風に変えてしまうことだってできる。
お目にかかりたいおとぎ話はすぐそばにいるはずなのに、
近づくとファインダーごしの虹みたいに消えてしまう。
町に冬の香りが漂い始める頃、各家庭のサンタたちはとぼけた顔で
子供達へのヒアリングを始める。
与えてもらうことの喜びを知ることができたら、与えられる人にだってなれる。
魔法のような便利や快適は、誰かの閃きや挑戦が積み重なって生まれている。
退屈な道もあくびが出る風景も、心さえ潤っていれば
宝石に変わることを忘れないでいたい。
喧騒に包まれていても、大事な人の声は存外はっきり聞こえたりもする。